あまったるい痛覚

駆けていくHiHi Jetsの輝きを閉じ込める、しがないオタクの備忘録です。

この愛がもたらしたもの

こちらの文章は高崎卓馬先生の作品である『オートリバース』の感想文です。内容のネタバレを含みますのでご注意ください。なお、ラジオドラマの件には少し触れていますが、配役のネタバレとなる内容は書いておりません。ご安心下さい。
 
『』は作品を引用している部分になります。

 

 

 

 

 

私はこの作品を読み終わった時、「世界でいちばん美しい愛の物語」だと思いました。もちろん、作品を読んで何を思うかは人それぞれなので、この作品を読んだ皆さんがどう感じたのかは分かりませんが。少なくとも私には、「ただの青春群像劇」にはとても思えませんでした。

 

 

 

 

『たいして面白くもないこんな世界なら、悪霊くらい解き放ったほうが刺激があっていい。

 

 

青臭くて随分と偉そうな、等身大の学生らしいこの文章。直はきっと、ひどく退屈で、それでいて孤独だったのでしょう。変わらない日常、面倒くさい両親、何もない空っぽの自分。私は、人はみんなそれぞれ違った地獄を生きていると思っています。誰だって自分が一番可哀想だし、自分が人生の主役なので。きっと彼も、彼の地獄の中で懸命に闘っていたんだと思います。

 

 

 

オートリバースってさ、嫌いなんだよ』

なんで? 便利じゃん』

『嫌いなんだよ』

『なんで?』

『勝手にひっくりかえるから』

 

 

 

あぁ、この言葉だと。この言葉に高階のすべてが詰まっていると、一気に腑に落ちました。何かを人に決められたくない。他動的にはなりたくない。自分の意思がちゃんとある。こんな高階だからこそ、直はきっと憧れたのです。パシリでもなんでもいいと、直の側にいることが出来るのならいいと。そう思えたのです。殴られて、顔を赤く腫らして、ボロボロになっても、「チョクは俺のダチだ」と言える高階だから。だからこのふたりは、代えがたいふたりになり得たのです。

 

 

 

それは、これから僕らが女神と呼ぶことになる十六歳の女の子の名前だった。

 

 

 

アイドルって一体何なんだろうと、私はふと考える時があります。見知らぬ誰かに勝手に尽くされるその気持ちは、一体どんなものなんだろうと。推し。自担。担当。尊い。人はそれぞれ思い思いの形容詞で、自らが応援しているアイドルを称します。そして、それぞれの地獄を少しでも過ごしやすいものにするために、アイドルを応援することに没頭します。彼らもそう。彼らはアイドルを「女神」だと、崇拝するべき存在だと、そう定義しました。彼らの退屈や欠けたところを埋めてくれる存在が、アイドルである彼女だったのです。私もアイドルを応援している身なので、その気持ちは痛いほど分かります。ステージを降りればただ一人の人間であるアイドルを、私たちファンは拠り所にするのです。それはまるで呪いのようでもあるけれど、アイドルというお仕事はそういう特性で出来ているものです。彼らもまた、アイドルありきで成り立つ存在である「親衛隊」を、自らの居場所としました。「不良品だ」と罵ってくる世間から切り離された、ちょっぴり特別で、熱い場所。心底楽しそうに熱中する彼らを見て、私はほっとしました。とても。

 

 

 

俺は親衛隊を大きくして、全国制覇する』

 

 

 

高階のこの言葉に、あれ?と首を傾げました。パズルのピースが微妙にハマらない感覚。渦を巻く違和感。小泉を、彼らにとっての女神を一位にするために組織されたはずの親衛隊で、全国制覇?制覇とは征服と同義です。ただ''アイドルを応援する''人たちが集まっただけであるはずの組織に、征服なんていうことを為す必要がどこにあるのか?それは直も同じで、これからふたりはどんどんすれ違っていくことになります。高階はみるみるうちに大きな存在になって、組織を「支配」するようになり、直の目指していたものとは大きく道を違えてしまいます。一度上手くハマらなかったピースは、待てど暮らせどハマることはないし、一度掛け違えたボタンは、放置すればずっと掛け違えたままなのです。

 

 

 

何かを得るとき、必ずひとは何かを失うんだ

 

 

 

なんて理不尽なんだろう。怒りを覚えると同時に、妙に納得しました。そうか、彼らは居場所を手に入れることが出来たけれど、同時に、「居場所がなかった頃の彼ら」を失ってしまったのだと。『ボム!』を読んではしゃいで、カチカチでゲームランキングに名を馳せて、消化器をぶっ放して暴れたあの頃の彼らを、失ってしまったのだと。高階は組織という居場所を守るために、あの頃を失ったのだと。そう理解した途端、喪失感と悲しさと、よく分からない不安を感じました。これから先の物語で、彼らはさらに何かを失うのか。その形容しがたい不安は、現実になってしまいます。

 

 

 

こんなに雨に濡れたら泣いてないのに泣いてるように見えるじゃないか。泣いてるのに泣いてないみたいじゃないか。

 

 

 

この一文で、直の抉るような痛みがそのままダイレクトに伝わってきました。彼はきっと、高階の母親のように、周りに嬉々として同情されにいくような人にはなりたくなかったのだと思います。だから、泣いてないと強がった。でも、ちゃんと、ダチのことを想って涙を流す人ではありたかった。ダチに訪れた理不尽を、悲しめる人ではありたかったのです。私は改めて、直は素敵なひとだなと思いました。人間くさくて、バカみたいに素直で、魅力的なひとだと。

 

 

 

オニヤンマの大きな瞳からエメラルドグリーンが遠のいていく。薄くなったかと思うと今度はゆっくり黒く、黒くなっていった。命が静かに消えていくのが見えた。

 

高階が死んだのは、その夜だった。』

 

 

あの日、二人で楽しげに見上げたオニヤンマが、皮肉にも彼の短い人生の象徴のようになってしまいました。彼の綺麗なエメラルドグリーンは、オニヤンマと同じように死ぬと黒になるのかなんて、直も、誰も、知りたくはなかったのに。できることなら、ずっとそのエメラルドグリーンを見せて欲しかったのに。でももしかすると彼は、好奇心の塊のような彼は、その光景を直に見せたかったのかもしれない。そう思いました。あまりにも残酷で無慈悲で、文章をなぞった直後は信じたくなかったけれど、なんとも高階らしい往生だと、私は思いました。

 

 

 

橋本直

チョクにもう一度会いたい。

 

 

女神の歌を聴いている最中。途中で終わってしまったものの回想の中に、彼はちゃんといました。三谷でもカワニシでも田原でもなく。彼のこの世の後悔に、直はちゃんと選ばれたのです。彼の心に、ちゃんと直のスペースは存在していたのです。同じアイドルを女神と呼んで、すれ違って、それでも変わらない約束を交わした彼らの時間には、質量も熱も密度も、ちゃんと存在していました。私はそれが、なんだかとても嬉しかったのです。

 

 

 

世界なんかよりずっと大事なものがある。それは自分のなかにある。そのなかに高階がいる。(中略)たぶんだけど、俺たちは瞬間を生きてる。瞬間がただ続いてるだけだ。

 

 

 

そうか。直は、彼を失って何かを手にいれてはいない。ずっと彼を、高階を、胸にしまっておくことに決めたんだ。そう理解した時、私はこの物語が世界でいちばん美しい愛の物語だと思いました。三谷だってカワニシだって田原だってヒメだって、正しくはなかったのかもしれないけれど、それぞれ違った種類の''''を生きていただけなのだと。それを一直線で結ぶものが、「アイドル」だったのだと。

 

 

彼らが''小泉''に捧げたすべてが、きっと彼らに「瞬間」をもたらした。時に熱く、冷たく、残酷で、ずっしりと重たい「瞬間」を。そうして出来上がったものを「青春」と呼ぶのなら、この物語はそのすべてが詰まっていると思います。青さ。苦さ。甘さ。苦しさ。尊さ。今まで読んだ何よりも、この物語は「青春」そのものでした。

 

 

 

彼が最期に残した、3回目の約束の言葉。あえてここには書きませんが、彼はわざとあの録音を残したのだと私は思います。直が前に進めるように。自分がいなくても生きていけるように。そして直が、自分を忘れないように。最期まで高階は突飛で無鉄砲で、死ぬほど愛しいひとでした。彼の魂のエメラルドグリーンは、これからも決して消えることはないでしょう。だってチョクのなかに、高階はずっといるのですから。

 

 

 

 

 

ラジオドラマの配役。私が試し読みを拝読した時に予想したものとは違っていました。現役の高校生、しかも''アイドル''である彼らが、この作品から何を感じて、何を失って何を得るのか。それを作品にどう反映させるのか。私は、それがとっても楽しみです。

 

 

 

この素敵な作品が、あともう少しで音となって耳に届くのだと思うと、なんだかそわそわしてしまいます。願わくば、彼らが直と高階として生きる12月7日からの数週間が、誰かの心の拠り所となってくれますように。

 

 

彼らの過ごした、紛れもない「青春」の日々が、「愛」が詰まった秋が、勝手にひっくりかえって無かったことになんてなりませんように。